朝日バッシングの愚本を幼稚な手本として、自らの論理力を鍛える③

小川氏の発言の矛盾――加計学園

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画像:https://www.pinterest.jp/pin/683210205944705154/
 
 加計問題では、柳瀬唯夫・元首相秘書官の国会答弁に対して愛媛県の中村時広知事が反論し、両者の主張がまったく違うことで、野党は中村知事を参考人招致を要求したが、与党がそれを拒否。そんなことをしているから国会が空転しているのだ。やましいことがなければ堂々と招致を認めればいいのだ。それができないから、それは野党だってイライラすることだろう。県職員は柳瀬氏の名刺を持っているのに、柳瀬氏は名刺を持っていない。柳瀬氏は首相に報告しなかった。首相は自身の関与がないことを強調した。しかし、総理が2014年9月の国家戦略特区の諮問会議で、獣医学部新設の解禁について、「早急に検討する」と述べていたというなら、首相とゴルフをするほどの仲の加計孝太郎、その加計学園の計画を、「首相に報告したことは一切ない」と言い切るのは不可解だ。進捗状況ぐらいなら報告は入れると思われる。「早急に検討する」ぐらいなのだから重要案件ということだ。その重要案件に関わることだ。

 橋本政権で首相秘書官を務めた江田憲司氏が語ったことを、「東京新聞」は18/5/11付2面で書いている。<首相秘書官は首相と「一心同体」の存在だとし、特定事業の利害関係者と会えば首相自身の関与が疑われるため、首相秘書官ではなく各省庁の担当者が対応するのが「リスク管理の基本中の基本」と強調>。さらには、<首相秘書官は夕方に首相を囲んで翌日の日程を調整するのが日課で、週に何回か首相と昼食をともにし情報を上げるとも説明(同前)>と。

 嘘が乱立していて、どれが本当の情報なのかわからない。安倍首相と加計理事長の15年2月25日の面会は嘘だった、となった。でも柳瀬氏は、この首相と加計氏の面会をしたことを前提として学園側に資料提出を指示している。そしてその後、首相官邸で柳瀬氏と学園側が面会することになった。安倍首相と加計氏の面会が嘘なら、2月25日以降の出来事すべてにおいて辻褄が合わなくなる。

 このような疑念があれば誰だって追及したくなるだろう。しかも追及ということを仕事としているマスコミならなおさらだ。だからこそ、「実際のところ、首相どうなんですか?」と執拗に尋ねることになる。国家レベルの忖度があるかもしれないので、口調が強くなるに決まっている。それを小川氏は、安倍首相に対する人権侵害だというのだ。安倍首相が加計氏と会ってないと言って、それを「はい、そうですか」と終えることが適当だというなら(何も疑惑がない場合はそうなるだろう)、その国に民主主義はない。入廷記録、首相動静に加計氏の名前が載ってなくても、首相番の記者の目をかいくぐって別の入り口から入ることもできる。それに、実際その場を見られてしまったら(そういう事実があったとして)厄介なので、どこか違う場所で極秘会談をもつことだって考えられる。そのすべてを潔白にしないかぎり、真実は見えてこない。だからこそ追及する。それのどこがおかしい? 日本国のすべての人間の命運を握る人物についてのことだ。知りたいし、知るべきだ。その先陣をマスコミが切っている、ただそれだけだ。
 
 簡単に嘘をつくからこそ、疑いが増えるのだ。柳瀬氏と愛媛県今治市の職員らとの面会を否定し続けたが、のちに「いたかもしれない」に答弁を変える。ということは、その他の答弁だって記憶違いと思われてもしょうがないではないか。追及されたくないのなら、万事納得のいく答弁をすべきた。それができないのだったら、追及されることを受け入れるしかない。

 小川氏は加計学園の問題が浮上し、森友学園の記事が激減したことに対して、<疑惑が真に存在するものだったなら、このような不自然な記事件数の激減は生じまい(161頁)>と書いた。あなたはいつから編集長になったんだ? 誰でもわかること、新聞は有限であり無限じゃない。限られたスペースに伝えるべき記事を詰め込まなければならない。そこにはいろいろな思惑があるだろう。決して綺麗なものではないことだけは確かだ。クライアントに尻尾を振っている姿だって想像できる。でも、そんなのは問題にはならない。どこにでもある風景で、ない風景を探すのが困難だからだ。いや、困難どころか不可能かもしれない。小川氏はマスコミに性善説でも求めているのだろうか? そんなはずはない。わかっているのだ。わかっているのにそこを突くのは、簡単に攻撃しやすいところだからだ。もちろん、そう思っていることを表に出すことはないだろう。表に出した時点で、やらしい人間だ、と思われること必至だ。

 小川氏は、朝日新聞が前川喜平前文科次官の単独インタビューのことを取り上げたあと、前川氏についていろいろと書いている。NHKも安倍叩きに加わったと指摘し、<前川喜平はNHK社会部出身の幹部と旧知の仲とされている(172頁)>と書いた。また、前川氏が朝日新聞のインタビューで、<私自身が内閣府に対して「こんなことは認められない」と強く主張して筋を通すべきだった。反省している(同前)>と発言したことについて、小川氏は、<何よりもやりきれないのは、この反省が、実は「総理の意向」に抵抗するのは不可能だったと強く暗示するための、反省を装った安倍攻撃だったという点だ。やり口が汚い(177頁)>とも。さらに人身攻撃は続く。

<前川を、朝日新聞らによる安倍潰しの駒という観点ではなく、官僚トップとして、今回の加計問題の中に改めて置いてみると、好ましくない意味での典型的な省益派の役人だと言える(179頁)>

<前川は加計問題で、安倍政権による岩盤規制突破をご破算にしようとする旧来の省益の立場に立っていた(同前)>

<次官時代の仕事ぶりは、縦割り行政の中に潜り込んで事なかれ主義を決め込み、自ら面従腹背を座右の銘とさえ公言している(同前)>

<東京大学=霞が関の戦後体制に根を下ろしてきた左派官僚の一人でもある(同前)>


 そして小川氏は、前川氏が安倍政権の告発者になった理由として、以下のものを挙げている。

第一、天下り斡旋で自分を事実上免職にした安倍政権への強い怨恨
第二、安倍の官邸主導の規制打破に対する、省益派官僚としての復讐
第三、安倍へのイデオロギー的な反発
第四、出会い系バー通いが指摘された件について、より深い情報を握っている筋から恫喝されている可能性

……恐ろしくないですか? すべてが想像ですよ? 彼はノンフィクションよりも小説を書いた方がいいのではないか? というか、ノンフィクションもすでにフィクションになっているが。これらの人身攻撃は、朝日新聞が執拗に安倍攻撃をし、「人権侵害だ」と小川氏が主張したことと変わりないのでは? べつに前川氏を擁護しようなどとは思っていない。小川氏の筆致からいろいろと前川氏の人物像が掻き立てられるからだ。しかし、だからといって前川氏が言ったことが虚言とはならない。これは、前川氏が証言を捏造した可能性を示唆する攻撃ではなく、ただ単に前川氏の人身攻撃であって、印象操作である。悪人、善人など関係ない。そんなのは人々の価値観の問題で、大事なのはそれが事実か否か、だ。
 
「隠蔽された問題の全体像(224頁)」という節では、7月10日、24日、25日の国会での集中審議について、朝日新聞をはじめとしたマスコミ報道では殆どお目にかからなかった名前の人間が参考人招致されたとして、日本の報道機関を<何と病み、腐った日本の報道空間であろうか(225頁)>と述べている。はあ? と私は思った。人が働く理由はなんだ? 金を稼いで飯を食うためだ。それが究極だ。もちろん、せっかくだから自分のやりたいことをやって稼ぎたいし、やりたくないことをやっても、生活のためだ、と我慢してやることだってあるだろう。というか、それが殆どなのかもしれない。そして自分が属する会社があってこそ、平社員も幹部も取締役も、株主もすべて会社があるから存在している。だから、なんだかんだ、例えば「社会的公正」みたいな綺麗な響きのものを頭の中で思い描いても、実際には描いたままで具現化できない。会社の利益のために働く。マスコミの場合、利益を稼ぐのは情報であり、その情報を生かして金稼ぎをするために、情報を取捨選択する。しかし、でっち上げはマズい。得る情報はもちろん事実。その取捨選択した事実を、自分たちにとって都合のいいように社会に提示する。小川氏が言っているのは、お前らが提示していない情報がある。なぜ提示しないんだ! 病んでいる! 腐っている! と言っているのだ。そんなのはおかしい。あなただって情報を取捨選択するだろう、って話だ。それに、人間はすべての情報を把握できない。それは量によるものだが、質としてみても、情報は常に流動的で更新され続けるので、(情報を得た時点でつぎなる情報が発信されている)すべてを把握できるわけがない。小川氏が言っていることは、「俺が知っている情報なのに、なぜお前は知らない? ああ、わかったぞ。意図して知らない振りをしているんだな」ということ

 一ついっておく。情報操作は万人がする。そこを責めても何も解決しない。要は、その情報操作が薄汚い犯罪なのか否か、ということだ。

最後に

 長々と論じてきて思うことは、このような誇大妄想本が書店に並んでしまうことに苛立たしさを覚えるということだ。これまで私は数多くの政治に関する書物を読んできたが、これほどまでに妄想に溢れた本に出合ったのは初めてだ。これが最初で最後にしてもらいたい。

 皆さんに学んでいただきたいのは、どんなに「偉い」と評されそうな肩書を持った人間も所詮は人間、落ち度は山ほどあるということだ。私たちと彼らに違いはない。でも人は、肩書に圧倒されて相手を「自分より上だ」と見ることがある。上ではない、ただ単に他人よりよく考え、よく分析しているだけだ。そしてもちろん、そこには誤謬もあるし、自尊心から人間のいやらしさを存分に使う場合もある。小川氏の書いた本著がまさにそれだと思う。

 本文章を呼んだ方々は、きっとこれを書いた人物は「朝日新聞が好き」なのだろう、とか、「左寄り」なのだろう、とか考えるからもしれないが、そんなことはない。そもそも、そうやって自分自身を固定化しようとするからこそ、柔軟に意見を吸収できなくなり、極右や極左などが生まれる要因になると思う。人間は必ず何かしらの思想に偏り、助けを求めるがごとく倒れ込む。私は常に「おきあがりこぼし」でいたい。どの方向にも倒れても戻ってくることができ、いつでも修正できるように。小川氏は倒れている安倍首相に抱きついたまま、たとえ数多くの矛盾に気づいても戻って来れないようだ。

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