朝日バッシングの愚本を幼稚な手本として、自らの論理力を鍛える②

小川氏の発言の矛盾――森友学園

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画像:https://ameblo.jp/komi1114/entry-12270824560.html

 つづき。

<権力者として通常人を遥かに超える監視や批判に耐えねばならない(4頁)>と言っておきながら、安倍首相の人権侵害を訴え、<権力批判として許容される範囲を超えている(同前)>と指摘。許容される範囲? まず、許容される範囲とはどの程度のことなのか? という疑問が生じる。程度を決めているのは小川氏であり、小川氏の主観だ。主観なのに、客観的に言っているように見せるのがすでに印象操作であり、彼自身それに気づいていない(気づいていたら、こんな書き方はしないだろう)。べつに彼だけではない。人間とはそういうものだ(そのように、まるで人間すべてを知っているかのように書く私自身も主観に侵されている。人間は己の理性のほころびに気づかなければならない)。
 
<政治案件として後追い取材をしようとした他社の記者に対して、朝日の現場記者は「これは政治案件ではありませんよ。幾ら突いても政治の話には絶対なりませんから」と答えていたというのである(5頁)>「――というのである?」そう聞いただけ? この話が本当かどうか調べたのか? まさか、調べていないのに、本当の発言のように書いてはいないだろう? いや、書いている。だからこそ、このような曖昧な発言になるのだから。つまりそれは、たった一つのなんの確証もない情報ソースだけで判断した、ということになる。

 そして、次の発言は「卑怯」であり、「印象操作をしますよ」と示唆しているようなものだ。
<極力「事実」を積み重ねて、事の全貌をお見せしようと思う(7頁)>「極力」ということは、事実以外の、つまりは想像も使う、と宣言しているようなものだ。それなのに、「事の全貌をお見せしよう」とは、あまりにもお粗末であり、臍で茶を沸かす。

 籠池氏が偽の百万円束をマスコミに見せたことを前提として、<国会で証言の信憑性を問うのも馬鹿馬鹿しい人間だったのである(15頁)>と書いているが、小川氏は自分が人間でありながら、人間というものをわかっていない。人間は真実を言うこともあれば、嘘をつくこともある。誰もが知るところだ。小川さん、あなただってそうでしょう? 一つ嘘をついたからといって、なぜ籠池氏の国会での証言の信憑性が失われなければならない? もし、信憑性うんぬんで話を進めるなら、それは小川氏の言う「事実を積み重ねて――」に対する反旗だ。想像だからだ。だからこそ「事実」が大事なんだ。それなのに、信憑性を持ち出して論じるのは、かなりの低レベルだと思える。

 16頁からは「発端」と題して、朝日新聞の記事(財務省近畿財務局が、学校法人に払い下げた大阪府豊中市内の国有地の売却額などを非公表にしている。調査したところ、同じ規模の近隣国有地の10分の1だった。地元市議が公表を求めて地裁に提訴した)を取り上げ、小川氏はまず、<全国紙7段の記事にすることではあるまい(17頁)>と、どうでもいいあなた自身の価値観の、しかも他人が決めることに口を出し、<公表した結果、問題がなければそれで終わる話だ(同前)>と、透明性の観点から、原則公表となっているにもかかわらず、非公表にしたという重大な問題を軽視(論点のすり替え)し、<違法性の可能性は低かろう。財務省が足の付く違法取引などするわけがないからだ(同前)>と、勝手な妄想を展開している。どこに行ったのだ、事実は? そして、安倍叩きが朝日の社是、として、あらゆる妄想を披露している。もう一度言う。どこに行ったのだ、事実は? 
 
 国有地の売買契約書を開示請求した木村真市議の身辺調査をし、「極左団体」という言葉に結びつける。姑息な印象操作だ。左だろうと右だろうと、そんなのはどうでもいい。そもそもの話、木村市議がどんな人間だろうが関係ない。問題は、公表すべきものを非公表にしている、という事実だ。小川氏よ、あなたの妄想で本を書いて金を稼ぐな。あなたが安倍首相や昭恵夫人の人格うんぬんも書くな。他人の腹の内など知る由もない。家族にだって隠しごとはある。知らない部分がる。小川氏は、安倍首相という他人のすべてを知っているかのような発言をする

 小川氏は、<安倍と国有地払い下げが結びつく前に、真相が解明されてはスクープの意味はなくなる。朝日新聞は早くも明らかにされてしまった事件の経緯は報じず、じっと待った(27頁)>と書き、朝日を悪者のような書き方をしているが、朝日は、何かあるはずだ? と思ったから待っていたのだ、とは考えないのだろうか? 朝日新聞は報道機関だ。完全オリジナル創作記事を書いたら、それはもう、叩かれる。叩かれるどころの騒ぎじゃない。だから、疑惑というものがそこになければ、そのまま撤退することだろう。しかし、何かあるはずだ? と思ったからこそ待っていた、と考えることができる。その何か――真実を追いたいからではないのか? それが人間であり、報道機関だ。もちろん、そんな綺麗ごとだけではないのは重々承知している。様々な利害関係が人間や組織を動かす。しかし、わざわざ作り話を土台にして、危険を侵すようなことはしないだろう、と思えるのである。

 共産党の小池晃が、自民党議員の鴻池から入手した記録(籠池の鴻池事務所の面談記録など)について、<おそらく、鴻池が共産党に情報提供したというのは正しいのだろう。だが、「学校法人の認可をおろさせたくない」という動機にはあたるまい。籠池自身が贈賄を拒否した事を自ら演劇的に証言してみせるのが、端的な目的だったのであろう(55頁)>と小川氏は書いた。~だろう、~当たるまい、~だろう……彼は相変わらずすべて想像で話している。自分でそのことに気づいていないのだろうか?

 小川氏は朝日新聞をスターリンに見立て、物証がなく、単なる忖度でのみ攻撃し始めたと言い、全体主義の自白の強要と同じ構図だとする。そもそも、一マスコミが権力に対抗するには情報しかない。武力ができない分、情報で戦うしかないのだ。思うがままに武力行使できるスターリンと一緒にするべきではない。

 上記したように、忖度を根拠に人(安倍)を社会的に糾弾するな! と小川氏は叫ぶ。その理由は、<人が何かを忖度したかしないかは、本人の内心でしかわからず、多くの場合、本人さえ無意識だろう(62頁)>とのことだが、そもそも、「多くの場合」と言っているが、小川氏は本当に多くの場合なのかせっせとデータでも取ったのだろうか? それに文末の「~だろう」とはなんだ? その程度の発言しかできないのに人を糾弾するな

 小川氏は、<国会では自民党の西田昌司が質問に立ち、佐川理財局長から、国有地売却の全体像を的確に引き出している(63頁)>と書いた。そして話は続く。<もしマスコミがこの質疑をきちんと国民に伝えれば、「森友問題」はほぼ終息していたであろう。しかし、朝日新聞は一行も記事にせず、テレビ報道もまたこれを黙殺した(同前)>。要するに、「お前らの采配によって、記事を書いたり書かなかったりしたから、問題がきちんと解決しないのだ」とでも言いたいのだろう。しかし、それはお互い様というものだ。証拠の改ざん、隠蔽、虚偽、そんなもので戦いを挑まれたら、こちらとて正攻法で行くわけにはいかない。戦に勝利するためには、あえて誠実性を犠牲にしなければならないこともある。正義などこの世にはない。正義を説く者ほど信用ならない。真実を導き出すためには、自分の都合のいいように、自分が勝てるようにやらなければならない。それを糾弾する人間もまた同じだ。

 馬鹿正直に正攻法で戦いを挑む者がいるとする。そういう者の足元を見ることは困難だ。なぜなら、非難箇所が見当たらないからだ。もちろん、意見そのものに対しての非難はあるだろうが、相手の弱みが見えないので、とても戦いづらい。どちら側もこうであれば、互いの意見だけを争わせることができる。見ている側もすがすがしい。しかし世の中なかなかそうはならない。人間は醜悪だ。必ずや相手を貶めるためにあくどいことを考える者はいる。そのあくどさを隠すために馬鹿正直者を装う(好印象をもってもらうために)のだが、目つきと体からでる胡散臭い匂いはそのあくどさを隠せない。小川氏はきっとそういう目と匂いをもっている。それは朝日側も同様だが。だからこそ、そこに争点を当てても意味がない。つまり、人身攻撃は真実を暴くのに意味がないということだ。人間誰もが汚い部分を持っているからだ。聖人君主などこの世にはいない。だからこそ、その汚い部分は汚い部分と認識し、違う部分(事実だけ)を争うべきだ。そんなところを攻撃するなら、世の中の人間すべてを簡単に攻撃できる

 稲田バッシングに対しても、小川氏は同様に妄想をそのまま文字に残している。防衛大臣・稲田朋美と籠池氏との関係について、彼女が虚偽の答弁をしたとしてマスコミ(朝日新聞)は取り上げた。そしてそれについて小川氏は、<常軌を逸した叩きぶりだが、それには意味があったのである。第一に、安倍の最側近に打撃を与えることで、自民党内での安倍の力を削ぐ事になり、第二に安倍政治の理念の継承者とされる稲田を叩くことで、保守政治の後継者を潰せる事になる。朝日の稲田叩きに力が入るのも当然と言えよう(69頁)>。と書いた。保守とかそんなことの前に、大事なことを忘れている。それが報道機関の仕事だということ。マスコミは確かに時にマスゴミになる。でも、だからってすべてがゴミになるわけはない。稲田氏が清廉潔白なら、朝日はお手上げだが、そうではない。だから責め立てる。それで飯を食う。ただそれだけのことだ。だったら、最初から籠池氏との関係性に虚偽を持ち込むべきではなかった。そして小川氏に一言、「人間は人間を責める。あなたが朝日を責めるように」。

 籠池氏が稲田氏と最近会ったというのは、平成20年10月、<保育園関連の会合で、大勢の中で会ったときに、握手をして話をした(70頁)>という部分を取り上げ、<普通、そんな会い方に「稲田氏と握手し話した」という見出しを付けるだろうか(同前)>と書いている。あなたのいう普通とはなんだ? 自分の主観で物事を語るな。もし朝日がそういう書き方をしたら、あなたは間違いなく指摘するだろうに。

 小川氏はジャーナリストの菅野完氏のことも、ああだこうだ、と人格を貶めるようなことを書いているが、そんなのはどうだっていい。要は、彼の言っていることが事実か否かだけだ。どんな人間でも人を殺していなければ人殺しじゃない。どんなに崇高なる人間でも、人を殺せば人殺しだ。小川氏は、人殺しじゃない人間を、「人を殺す奴に決まっている」という恣意的な解釈で人殺し(人格で良し悪しを図る)にしているにすぎない。小川氏は犯罪者じゃない者を「犯罪者だ!」と断罪しているにすぎない。べつにいい、断罪したければすればいい、しかし、もしそうするなら事実の提示が必要だ。朝日はあらゆる事実ついて、「いったいどうなっているんだ?」と怒り心頭で尋ねている。それを彼は、事実は横に置いておいて、問題は人権侵害だ、と話を進めているのだ。また、彼は昭恵夫人の口から何も語られていないのに、まるで彼女の心情を代弁したかのように話している。一つ言っておくが、小川さん、あなたも部外者だ。勝手に昭恵夫人の心境を書くべきではない。彼女の人格を想像して書くべきではない。そんな程度の反論本を書くべきではない。もし反論するなら、相手がぐうの音でないような事実やデータを駆使して反論するべきだ。

 小川氏は、<籠池夫妻は菅野と面談し、完全に篭絡されたのであろう(86頁)>と言っているが、「完全」なのに、なぜ最後に「だろう」をつける? これは心の中が透けて見えるようだ。それはその後の内容でもわかる。<安倍が裏切って、自ら指示をして検察に籠池を売ったという趣旨のことを聞かされたのであろう。安倍にも自民にも、もはや何らの援護射撃も期待できない。ならばいっそ野党側を味方につけた方が延命の可能性が出るのではないか(同前)>。そして、<仮にそんな話の成り行きだったとすれば愚かという他はない(同前)>と書いているが、あくまで「仮」だ。小川氏本人がそう主張している。しかしながらその後、<この崖っぷちで籠池夫妻は安倍夫妻への信でも、保守系学校経営者の矜持でもなく、菅野完を選んだのだった(87頁)>と締めくくる。「……選んだのだった?」「仮に」と書き始めておきながら、最後はあたかもそれが真実かのように締めくくっている。これは結局、そう事を運びたい願望が、そのように文字を書かせただけではないのか? ~だろう、~だろう、と言っておきながら、心の中では、そうであってほしい、そうでなければならない、と思っている。なぜなら、そうでなければ話が成り立たないからだ。話が戯言になるからだ。

 そして極めつけ、<籠池の虚言は筋金入りである(89頁)>。小川氏は人の心の中を見通せるのか? 裁判をしたわけでもないのに、よくそんな妄想発言が言えるものだ。事実ではなく、人格で判断する愚かな男。きっと彼が陪審員だったら、感情のままに判断する道を選びそうだ。

 92頁からも、~だろう、~違いない、話が続く。もうここまで来ると異常だ。そして極めつけ、<常識で言っても、安倍が昭恵に百万円を託して籠池に渡すことはあり得ない。安倍は籠池と面識がない。面識のない人間に百万円の寄付をする人間はいない(93頁)>と言っている。もう反論するのもアホらしく感じる。一つひとつ言っていきますか。「常識で言っても」➡だったら非常識なのだろう。「あり得ない」➡じゃあ、特別だったのだろう。「面識のない人間に百万円の寄付をする人間はいない」➡なぜ? どういう理屈から? NPOやNGOに問い合わせてみるといい。あなたはなんでも見通せる神なのか? べつに籠池氏の言っていることは真実だ、と彼を擁護したいのではない。小川氏の反論があまりにも幼稚で想像的で、くだらなく思えてしまうから言っているのだ。そんな類で反論できるなら、私はいくらでも想像を駆り立てて反論する。何度も言うが、反論するならそれなりの(誰もが納得する)事実を出すべきだ。

 昭恵夫人と籠池夫人とのメールに民進党の辻本清美議員が登場した件について、辻本議員は<メディア各位におかれては、このような誤った内容を拡散しないように強く求めます(102頁)>と言った。この発言について小川氏は、<「誤った情報」かどうかを検証するのが本来メディアの仕事である(同前)>とお怒りだ……彼自身が誤った情報を垂れ流しているにもかかわらず。安倍スキャンダルを「ありもしない」と、まるですべてを見通す目を持っているがごとく断罪するし、<辻本が作業員を潜らせたかどうかは分からない(同前)>、と言っているのに、「おそらく――」と前置きしてから、連帯ユニオン関西地区生コン支部と「みられる」と書いている。わかりますよね? 「おそらく」「みられる」。つまり、不確定であり想像なのだ。にもかかわらず、<要するに右翼幼稚園潰しでの左翼活動家人脈の連携が伏在し、朝日新聞と民進党の一部は、この人たちと密接な連携をとっていた(同前)>と結論づけている。なんだこれは? 不確定事実なのに「要するに」と言い、不確定事実なのに「とっていた」と断定する。もう救いようがない
 
 もう反論するのも馬鹿馬鹿しいがするしかない。これ以降も、延々とこのようなくだらない妄想話が続くからだ。いや、この本自体が巨大な妄想の産物だ内閣総理大臣夫人付の谷査恵子が籠池に伝えたメールの内容の一部、<引き続き、当方としても見守ってまいりたい(106頁)>の「見守る」を、<距離をおき、心で応援するという意味(同前)>と勝手に解釈して読者に伝えているし、<籠池は大阪の小さな幼稚園経営者に過ぎない。圧倒的な弱者である。その圧倒的な弱者が、乏しい資金で小学校を新設したいと考えた(107頁)>と勝手に人の心の中を解釈し、断定し、記述し、昭恵夫人が放置しなかったことを<親切心に他ならない(同前)>と言った。親切心にほかならない? 昭恵夫人がそう言ったのか? 第6感を持ってして心を見通したのではなく、決して想像なのではなく、確実に昭恵夫人がそう言ったのだな? 

 そしてここも批判したい。小川氏は「魔女裁判」というワードを持ち出し、それを安倍首相に当てはめているが、魔女裁判は権力者が非権力者にしたもので、構造が逆だ。権力者を倒すなら、あえて魔女裁判に持ち込まなければならない。さもないと、権力によってつぶされてしまうからだ。いつの時代でも権力に逆らおうと抗うものを権力者は排除する。どんな人間だろうと真実を言う瞬間はある。どんな聖人君主のような人間だろうと嘘を言う瞬間はある。小川氏は、籠池氏が信用できない人間だから、「籠池の言うことは嘘だ」というように世論を導きたいだけなのだ。プロパガンダしているにすぎない。

 小川氏は、朝日新聞に国有地払い下げの疑惑を持ち込んだ豊中市議会議員の木村真氏と福島瑞穂氏との対談を取り上げた。木村氏はその中で、<まあ、潰したかっただけなんですけどね(笑)(114頁)>と語ったとされているが、そうだとしてもべつにそんなことはいいだろう。人間は人間を嫌う。それだけだ。ただ、潰すには証拠がいる。証拠があれば、相手側は罪を犯したということだ。それだけの話。人間の忌み嫌う感情なんかまったく関係ない。要は証拠だ。扇動しようが何しようが、証拠がなければすべて無に帰す。論より証拠、だ。

 つぎに続く

この記事へのコメント

assassins
2018年07月19日 17:03
一気に3つ記事が上がったので、ビックリしてました。

 92頁からも、~だろう、~違いない、話が続く。もうここまで来ると異常だ。そして極めつけ、<常識で言っても、安倍が昭恵に百万円を託して籠池に渡すことはあり得ない。安倍は籠池と面識がない~


推測でありながら、そぅ思わせたいというやり口ですね(´Д` )ゲリラ野郎記念学校じゃん。
戦後版の国民学校第一号。無論、軍国教育。
LUNA
2018年07月26日 11:33
「魔女裁判」というワードを持ち出し、それを安倍首相に当てはめているが、魔女裁判は権力者が非権力者にしたもので、構造が逆だ。

ここ、ここ。
おじさん、おじさん、歴史間違ってますよ~勉強し直し(-_-)