ひどく涙が出ること

心愛さんの骨折、1カ月放置 両親、虐待発覚を恐れたか
2019年2月15日12時30分

 千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で亡くなるまでの約1カ月間、両親が骨折を放置していたことが捜査関係者への取材でわかった。千葉県警は虐待が発覚しないよう、医療機関を受診させなかった可能性があるとみて調べている。県警は15日、傷害容疑で再逮捕した父親の勇一郎容疑者(41)を送検した。
 勇一郎容疑者の送検容疑は昨年12月30日~今年1月3日ごろ、自宅で心愛さんの両腕をつかんで体を引きずり、顔を浴室の床に打ち付け、胸や顔を圧迫するなどの暴行を加え、顔面打撲や胸の骨が折れる傷害を負わせたというもの。打撲と骨折は複数の箇所にあり、横になった心愛さんにひざでのる暴行もしていた。
 捜査関係者によると、勇一郎容疑者は「覚えていない」「忘れた」「わからない」などと供述。なぎさ容疑者はこれまでに「傷を見られないために外出させなかった。外に出ないように強く命じたし、見張った」といった趣旨の説明をしているという。
https://www.asahi.com/articles/ASM2H321MM2HUDCB001.html

 世間をざわつかせた一連のニュースから一つ用いました。連日マスメディアで散々目にしたと思います。

 世間は心愛ちゃんの両親やその他、彼女を助けられる状況にいた人間たちに怒りを抱き、罵倒しました。私もその一人。殺意をもち、心の中では彼らを殺していました。そして思いました。

親とか血の繋がりとか、そんなのは関係ない。法に触れようが、バッシングされようが、何しようが、行動を起こす人間がいて、彼女を助けるべきだった

 そしてその非難は、同時に自分にも向けられました。

もし自分がその状況を察知できる立場にいたなら、思いきった行動をとっただろうか?」 

 そしてすぐに、「そうに決まってる。俺は絶対にその行動をとる。俺は奴らのようなクソ人間とは違う」と自分に聞かせました。この世に「絶対」はないにもかかわらず、真逆の行動をとってしまうようなあらゆる可能性を排除するように……。

 連れ帰った――いやいや、それは誘拐でしょ。誘拐? 上等。そう叩かれても、彼女が死ぬよりまマシ。それに、世間は「誘拐」などとバッシングするはずはない。英雄視されるに決まっている・・・・・・でも、もしその状況(彼女が親に虐待されている事実)を世間は何一つ知らなかったとしたら? それは成立する?

 作家、角田光代氏が寄稿した文章があります(「朝日新聞」18/6/8付朝刊26面)。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムードールを受賞した「万引き家族」を見てのものでした。

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画像:https://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/about.html

 父親と息子が、集合住宅の廊下に出されている女の子を見つけ、親からの虐待を疑った父親はその子を連れて帰ります。その事実に対して角田氏はこう話しています。

<善意でもないし正義でもない。同情ですらない。彼らには、他者を「助けている」という意識もない。ただ本能的に、手をのばしてしまうだけだ。それらのことと、彼らが罪を犯すことはまったく矛盾しない。表裏おなじことだ。善意や正義が彼らの行動原理ではないからこそ、罪を犯し、また罪を犯させることに躊躇がない。弱っている者に本能的に手をさしのべるように、自分たちが弱ったときには自分たち自身に手をさしのべる。寒さに震える子どもを連れ帰ることと、その子の好物を盗んでくることに、違いはない

 この家族は、連れ帰った女の子と一緒に笑い、楽しみ、幸せな日々を過ごします。しかし亀裂が入る。角田氏は言います。

<この家族が、言葉に拠らず共有している暗号を、当然ながら家族以外の他者は理解できない理解できないものを、世のなかの人はいちばんこわがる。理解を越えたおそろしい事件が起きたとき、「心の闇」というような名付けを、すぐに見繕うように。そうして名付け、カテゴライズすることによって、世のなかの人々は安心するのだし、自分とは関係のないことだと信じられる。もちろん私もそうした世のなかの一員である。幼児を虐待する親は極悪人だと思っているし、万引き常習犯は病んでいるのだろうと思っている。彼らが自分と――いや、自分が彼らと同じ人間だと思うことはこわい。だから線引きをせずにはいられない

<よく理解できないこと、理解したくないことをしカテゴライズするということは、ときに、ものごとを一面化させる。その一面の裏に、側面に、奥に何があるのか、考えることを放棄させる。善だけでできている善人はおらず、悪だけを抱えた悪人もいないということを、忘れさせる。善い人が起こした「理解できない」事件があれば、私たちは「ほら、悪いやつだった」と糾弾できる。なんにも考えず、ただ、ただしい側にいるという錯覚に陶酔することができる。なんな、シンプルで清潔な社会への強烈な違和感がこの映画から立ち上がってくる>

 虐待されているという事実を世間が何一つ知らなければ、連れ帰った人間が「悪」になる。「悪」は情報に左右され、常に移動する。そして、自分をその「悪」から除外する。

キング牧師のような人間を絶対に忘れてはならない

「私には夢がある。それはいつの日か私の4人の子どもたちが肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ」マーティン・ルーサー・キング牧師

 黒人への差別の撤廃を訴えた公民権運動の指導者キング牧師が暗殺されておよそ半世紀が経ちました。
 昨年、NFLで試合前の国歌斉唱の際に選手の起立を義務付けるというルールが話題になりました。人種差別への抗議として膝をつく選手が多かったからです。トランプはその行為を批判しました。私はアメリカをマクロ的な意味で嫌いです。それでも、もちろん肯定できる部分もあります。アメリカの長い歴史、差別を撤廃しようと努力してきた歴史……。
 
それでも夜は明ける』という映画をかつて私は見ました。

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画像:https://movies.yahoo.co.jp/movie/それでも夜は明ける/347686/
 
 原作は1841年にワシントンD.C.で誘拐され奴隷として売られた自由黒人ソロモン・ノーサップによる奴隷体験記「Twelve Years a Slave(12年間の奴隷)」です。ノーサップは自由黒人(管理人注:自由黒人【フリー・ブラック、またはフリーネグロ】は、法的に奴隷ではない黒人という地位にあった人々)にもかかわらず、2人組の男たちに騙され、薬漬けにされ、昏睡状態にされ、奴隷商に売り飛ばされます。そこから苦難の12年間が始まるのです。

 かつては労働力として売買された奴隷制度が法的に認められた時代があったのです。黒人を、人間ではなく物として扱ったい時代があったのです。
 
 1955年、アラバマ州モントゴメリーで起きた「ローザ・パークス事件」と呼ばれるものがあります。

 その当時、バスは前部に白人、後部に黒人の座席が区別されていました。にもかかわらず、白人が席をあけるように黒人女性に詰め寄ったのです。黒人女性は席を譲らず、逮捕されました。逮捕? なぜ? 彼女が何をした? キング牧師が26歳の時。黒人たちはバスに乗ることをボイコットし、徒歩で移動したのです。その流れは拡大しました。黒人女性は言いました。

自分のためではなく、子や孫のために歩いている

 キング牧師は功績が認められ、1964年、ノーベル平和賞を受賞しました。……これこそがノーベル平和賞にふさわしいと呼べるのではないでしょうか。

 なぜ、その同列に安倍晋三はトランプを立てようとするのでしょう。理由はわかります。いちいち説明しません。みなさんもわかっていることでしょう。

 愚の骨頂。

 しかも話は実に馬鹿馬鹿しい。「安倍首相は、選考委員に送ったという美しい書簡のコピーをくれた。私を平和賞に推薦したいといっていた」とトランプが言っていたにもかかわらず、「昨年6月にあった史上初の米朝首脳会談が終わった後、安倍首相が米側から非公式に以来され、その後、推薦した」(『朝日新聞』19/2/20付朝刊)という話。

 安倍晋三は、トランプが世界に対して虐待するのを見過ごす男なのです。誰がなんと言おうと。

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