極右化する日本とヘイトスピーチに感動し涙する愚者たち

 ……憎しみは耐え難い程重い荷物。怒りにまかせるには人生は短すぎる……我々は敵ではなく友人である。敵になるな。激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな……仲良き時代の記憶をたぐりよせれば良き友になれる日は再び巡ってくる……

 この言葉は、1998年に製作された『アメリカン・ヒストリーX』という映画の中のセリフの一部です。

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画像:http://blogs.yahoo.co.jp/under_the_shiny_sky/54508190.html

 「白人至上主義」に傾倒する白人の兄弟を通して、アメリカが抱える人種問題・貧富の差を浮き彫りにした問題となりました。
 今年の2月29日、米大統領選の共和党候補者指名を目指すトランプに、白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」の元最高幹部デービッド・ デュークが支持を表明しましたが、その思いが見事に成就しました。なぜ私が最初にこのセリフを書いたかは皆さん想像できると思います……トランプのヘイトスピーチが、恐ろしいほどの「事の末路」を迎えると思ったからです。たとえフィクションだとしても、当時この映画を見た私はとても考えさせられたものです。当ブログのタイトルを『憎しみの連鎖』にしたのには、少なからずこの映画の影響があります。「怒り」という感情が時に人を大きく狂わせることを示したこの映画は、今現在のヘイトクライムをまさに表していると思うのです。
 2人の兄弟、兄デレクを演じるのはエドワード・ノートン、弟ダニーを演じるのはエドワード・ファーロング。デレクは、父親を黒人に殺害されたことをきっかけに有色人種を敵対視するようになりました。その後、車泥棒の2人の黒人を殺害したことで刑務所へとぶち込まれます。

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画像:http://kyakuhonkakikata.com/american-historyx

 刑務所内にはもちろん白人だけではなく黒人もいますから、白人至上主義を掲げているデレクにとっては身の危険を感じる状況でした。が、しかし、3年後デレクは無事刑期を終え出所できたのです。彼が刑務所内で殺害されなかったのにはある理由がありました。それは、ある一人の「黒人」の計らいがあったからなのです。デレクの命が失われなかったのは、彼が嫌悪して止まない黒人の存在があったからだったのです。それをきっかけにデレクは身も心も別人へと変貌しました。しかしデレクは、世間には未だ白人至上主義がベットリと蔓延っている現実に直面します。それがどんな結末を生んだのか?ここから先は映画を見て下さい。衝撃のラストが待っています。
 この映画が伝えたかったことは、私なりに考えますと「怒りに身を任せて……全てを怒りで包んでしまうと、大事なものを失ってしまう」ということではないでしょうか。
 多民族国家ではない日本ですが、昔から在日朝鮮問題等ありますし、多くの外国人が流入している昨今、同じようなヘイトクライムは起こりかねません。これには極右と呼ばれる人々が関係してくることは想像できます。そんな日本の現状を今回は書こうと思いますが、上記した言葉を使わせてもらいますと、怒りに身を任せて書きますが、全てを怒りで包み込んでしまうことはしませんので悪しからず。

櫻井よしこという愚者

  ……先日、『日経新聞』をめくったところ、ある恐ろしい内容が記載されていました。当ブログ記事としてこれから話す内容に深く関わる人物が語ったものがそれであり、まずはその画像を記載します。

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画像:http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2013412.html

 論客として知られる櫻井よしこ……論客?彼女の議論は、私に言わせると全く論理的ではなく、感情と思い込み丸出しの不勉強なものであり素人です。原発の知識があまりにも浅はかであり、完全に門外漢なのに、その浅はかな知識で国を指導していこうという厚顔無恥な態度にいつも呆れ返っています。彼女だけではありません。世の中には未だに「原発があるから電気が足りている」という、議論すらいらないほどの幼稚なレベル(原発がゼロでも電気は足りる)なものが溢れかえっています。そして彼らは言うのです、「私は聡明です」と。自分たちの議論が正鵠を射ていないことを認識できていないのです。原発の必要性議論は権謀術数であり、私たちはまんまと手のひらの上で踊らされていると言えるでしょう。
 先日、福島第一原子力発電所の廃炉費用などの負担の在り方などを検討する国の有識者会議が開かれ、そこで経産省は「賠償や除染も含めた原発事故に関連する費用の総額が従来の倍の21兆円余りに膨らむ」という見通しを示していました。……21兆円、恐ろしい額です。「支払いが大変だね」という他人事でないのは皆さんご承知かと思います。費用の一部は、電気料金の支払いを通じて国民が負担することになっています。なんて詭弁なのでしょうね。私たちは国の尻拭き係りではありません。企業という存在は、倒産すればもちろん市場から退散しなければなりません。企業を倒産から救うために、これまで国民が負債を負担してきましたか?「いやいや、企業でも電力会社は違う。今まで電気を使えたのは電力会社があってのことではないか。企業は「私」であるが電力会社は「公」である。そこを忘れるな!」とでもお思いでしょうか?今現在、国民は電力を選択をできるのです。新規参入の電力事業者から電力が買えるのです。大手電力会社から、借りたこともないお金を支払う義務などないのです。こういうことを言うと必ずや右派からの攻撃に遭います。数年前、ブログを停止する前までは攻撃が多々ありました。そんな彼らは、途中まで議論、そこから先は感情論と常に相場が決まっています。国の醜悪な態度があまりにも頭にきたので、次回は『原発論』と題して、徹底的に原発推進論を喝破していきたいと思いますのお付き合いのほどよろしくお願いします。

映画『海賊とよばれた男』を考える

 つい先日、『海賊とよばれた男』という映画が全国公開されました。

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画像:http://bookvilogger.com/kaizokutoyobaretaotoko

 小説『海賊とよばれた男』という2013年の本屋大賞を受賞し、ダブル・ミリオンを超える部数を売り上げたベストセラー作品が元になっています。安倍首相も愛読しているというこの本に登場する主人公、国岡鐡造の生き様に大衆は感動し、大半は「映画を否定することなどありえない」という思考回路になっていることでしょう。個人主義に走る現代人に対して、「日本のことを第一に考えよ!」と右派が訴えかける映画と私は表現したいと思います。
 国岡鐡造のモデルとなったのが「出光興産」の創業者、出光佐三であります。「会社経営は大家族と同じである」との信念に基づく経営を行い、出勤簿なし、タイムカードなし、クビなし、定年なし、という徹底ぶりで有名です。個人主義に走る現代人にとっては、かえって居心地が悪いと思われそうですが、その方針で一流企業になったのは現実ですし、周囲の人間にとやかく言われる筋合いはないことだけは言えます。実際、この経営方針が賞賛されていますしね。ただし、思考回路をもっと働かせて考えてみましょう。ここで大事なワードは(私が常に意識すること)は「この世に絶対や正解はない」ということです。例えば労働組合がないということは、労使紛争が起こらないということですよね。それって危険では?と考えることが出来ます。経営陣という権威に対して文句を言う場合の後ろ盾してくれる存在がないからです。出光で働く従業員たちは出光佐三を「店主様」と呼んで慕っていたらしいのですが、私から言わせたらとても気持ち悪いです。大家族主義と言っても所詮は他人、一蓮托生に嫌気だって差す人もいるはずです。付け加えて人は権威にひれ伏すもの。従業員の本音はわかりません。美談の中には、社会生活を営む上で人間が避けて通れないもの、すなわち「建前」がふんだんに入り込んでいることでしょう。また、この経営方針で成功している出光は「出光式が正解」と考えていると思います。実際、事業が成功していますからね。文句は言えません。中小零細企業は、「(出光のような)大企業は○○しているから成功したのだ。だから私たちもそのやり方を真似よう!」と奔走することでしょう。そしてその会社はどんどん盲目的(盲目的=経営が失敗するではありませんのでご注意を。心理学的な話をしているまでです)なっていきます。なぜか?大企業はごまんとあるのに(それは外資も含め)、自分が真似ようと思った企業の経営方針以外に目が向かなくなるからです。また、経営コンサルタントに助言を依頼するという場合もありますよね。コンサルタントに旧来のやり方や考え方を一喝された経営者は、疑義を挟み込むことなしにコンサルタントのそれに付き従うことでしょう。この時、コンサルタントは“権威”なのです。この権威が発する言葉を、心理学で言う「ハロー効果」の目で見て全てを肯定的に捉えます。どんな矛盾があったとしても、「絶対善」に変わるのです。
 次に、タイムカードがないというものです。ここ最近、ブラック企業による過酷な労働時間の実態が如実に現れていますが、タイムカードがないということは、同じような結果を生むと十分考えられます。会社を訴えようにも証拠資料がないので、訴えたとしても労働者側にとって極めて不利であると言えます。「従業員は文句も言わず付いてきてくれた」と経営者が思うのは勝手ですが、従業員の本心はひょっとしたら違うところにあるのかもしれません。
 で、上記した『海賊とよばれた男』に話は戻るのですが、怖いのは「全てが美談」で飾られているということです。この映画の元小説を書いた百田尚樹は、「戦後、焼け野原になった日本を立て直すために懸命に頑張った経営者の物語」と言って、そこだけをフィーチャーして美談としていますが、この手法は後述する『永遠の0』と同じものです。
 出光佐三の思想は全体主義であり、自分を捨て、国のために働くことを善としています。また、彼の四女で映像作家である出光真子が、社会党委員長の浅沼稲次郎の右翼による刺殺事件を父親が褒め称えていたと話しているのです。
http://lite-ra.com/2016/12/post-2760.html

百田尚樹という愚者

 百田尚樹がやってしまった最大のミスがあります。それが世間では『殉愛』騒動として取り扱かわれました。……あ、すいません。表現を間違えました。“騒動”は一部に限ります。なぜなら、マスコミが全く報道しない言統制が敷かれたからです。『殉愛』は百田尚樹による2014年の書籍であります。

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画像:https://twitter.com/hashtag/%E6%AE%89%E6%84%9B%E9%A8%92%E5%8B%95

 関西で人気を博したやしきたかじんさんの最晩年を、たかじんさんの自筆のメモや未亡人となった家鋪さくらの証言などを元に書かれたもので、「ノンフィクション」として発売されたのですが、実際はノンフィクションなどではなく、大部分が百田の想像(ウソ)の産物だったというものです。さくらさんは 2014年11月21日、幻冬舎を相手取り、出版差し止めと1100万円の損害賠償の求める訴訟を起こしました。生前、たかじんさんが百田のファンであったで、さくらさんと接点を持った百田は「いいネタを見つけた」とでも思ったのでしょうか?愚の骨頂とも言える作品を世に出したのです。さくらさんの主張では、1人の遺族の話を根拠として他の親族の取材をせず書いた事実無根の話ということですが、裁判はどういう結果を導いたのでしょう。……結果はというと、幻冬舎に330万円の支払いを命じ、一方で、出版の差し止めは認めなかったのです。……認めなかった?事実無根が含まれていると裁判所が認めたのにもかかわらず?この事件をきっかけに百田は作家タブーの仲間入りを果たし、右派にも(作品は抜きとして)見放された感があります。上記した『海賊とよばれた男』ではそれが鮮明になっています。『永遠の0』同様、主役はV6の岡田さんが務め、監督も『永遠の0』同様山崎貴氏、大々的なPRが始まっていますが、そこに百田は出てきません。出てくるのは百田の作品だけ(右派にとって、作品はぜひとも使いたいものであり、百田自身を出すとイメージが悪いと捉えたのでしょう)。
 百田は『永遠の0』で「命の大切さを伝えたい」と言っていましたが、「右翼の大切さを伝えたい」の間違ではないでしょうjか。

>『永遠の0』が伝えるもの

 『永遠の0』を元特攻要員が見て述べた感想をリテラが記事にしています。そして最初にこう記しているのです。

 「この映画を観て多くの人が感動するのは恐い」

 『永遠の0』は犯罪的であるとの主張、なぜでしょうか?スタジオジブリの高畑勲監督はこの映画を観て、「天皇陛下万歳」という共感できないことを共感に結びつけるために、“家族を守るために戦地へ赴く”ことを強調している」と指摘しました。そしてそれを「反戦」とするのは詭弁だと批判したのです。以下、元特攻要因(太平洋戦争中、海軍の水上特攻隊に所属していた岩井忠熊氏。ベニヤ板でつくられたモーターボートに爆薬を積み、敵艦に突撃する特攻艇「震洋」の特攻要員だった)の発言を含め、リテラより抜粋したいと思います。

 
冒頭、岩井氏は、ずばり『永遠の0』は「架空の物語という感じがしますね」と切り出す──。

 『永遠の0』のストーリーは、現代の若者・佐伯健太郎(演・三浦春馬)が、戦争末期に特攻で戦死した実の祖父・宮部久蔵(演・岡田准一)の実像を探るため、当時を知る人々を尋ねていくというもの。宮部は海軍の零戦パイロットとして天才的な操縦技術を持っていたが、「私は死にたくありません」「生きて妻子のもとに帰りたい」と同僚に公言する人物であり、作中では一貫して “命を大事にする”キャラクターとして描かれている。

 しかし、元特攻要員であった岩井氏からすると、この宮部のキャラクター設定自体からして「架空の物語」に感じられるのだという。

 「『死にたくない』と公言する搭乗員が本当にいたのでしょうか。そういうことがありえたのか。それがまず疑問ですね。密かに思っていた人はいたでしょうが、それを口にする人間がいたのか。また公言することが許されていたか」

 また、『永遠の0』の主人公・宮部はラバウルからの生還後、海軍航空隊で教官を務めるのだが、教え子を戦地へ行かせぬため、操縦テストの評価に決して「可」を与えようとしない。これについても、元特攻要員の岩井氏はこう疑問を呈する。

 「いくらその人に操縦技術があるとしても、そういう人が教官になって教育をする立場になるということが不自然です。教官になれば死ぬことを厭わないように教えていかなければいけないわけですから、その点では違和感がありますね」

  戦争中、教官が教え子に伝えるのは、人を殺す技術と、国に命を捧げるという精神だけだったというのだ。

 「そういう精神の問題について一切触れないというのならそういう人が教官であることもありうるとは思います。僕も別のところですが、海軍水雷学校教官という発令を受け、水上特攻隊員になる人たちを教育したことがあるけれど、自分の死生観などについて話したことなどは一度もありません。もっぱら技術的な話だけでしたから」

 岩井氏は、その自らの体験から、『永遠の0』の宮部は「考えられないことです」「フィクションですね」と断言するのだ。そのうえで、作中描写について「海軍の持っていた暴力性の描き方は足りないです」と指摘し、実際の兵士や下士官の“生活”について、こう語る。

 「毎晩、巡検というのがあるんですね。陸軍でいう消灯になるんでしょうか、それが終わってから通称で『整列』というのがあって、甲板の陰かどこかに立たされて毎日のように精神棒で尻を叩くんです。だから上陸して風呂屋などに行くと恥ずかしかったそうです。尻に叩かれた痕が赤く残っていて。それがあるから海軍の秩序というか、そういうものが整然としていたわけです。こういうもので強制していたのです。映画にはそういう部分が全然描かれないままに、宮部のような搭乗員が出来上がってくるというのは不自然ですね。いきなり飛行機に乗れたわけではないんですよ」

 一般水兵たちが直面した戦争には、敵との戦闘だけでなく、軍隊内での陰湿ないじめや、上官からの体罰もあった。だが、『永遠の0』では一人前になった後の“大空を駆ける操縦士”としての姿しか提示しない。VFXを駆使した迫力のある空戦シーンに至るまでに、そのような苛酷な現実があったことなど、受け手は知る由もないのだ。
 前述のとおり、岩井氏は水上特攻兵器「震洋」の特攻要員である。そして兄は、海軍が初めて開発した特攻兵器、人間魚雷「回天」の特攻要員だった。『永遠の0』は航空隊の特攻という違いはあるが、岩井氏は、本作の決定的な欠点についてこう語っている。

 「全体として海軍、陸軍もそうですが、飛行機にかかわらず特攻というものを、空中、水中、水上と考えたこと事態にものすごい犯罪性があって責任がある。でもその責任を糾弾する場面が(映画には)どこにも出てこないんです。そして一種のロマンチシズムになっている。責任の追及がなくてロマンチシズムだけが残るということにこの映画の酷さを感じますね

 実際、作中でフォーカスされるのは、「死にたくない」と公言する宮部久蔵という人間がなぜ特攻で戦死したのかという“ミステリー”と、彼をとりまく家族、戦友たちの“感情の動き”だ。特攻という非人間的な作戦が考案され実施された背景、そしてその責任の所在は、ほとんど言及されない。たとえば史実では、神風特攻隊の創始者である大西瀧治郎中将は、玉音放送翌日に割腹自殺している。だがこうした話は、映画では一秒も触れられていないのだ。

 「また宇垣纏中将もいます、彼は第五航空艦隊司令官でしたが、鹿屋から特攻を出した責任者だから、生きてはおれないということで事実上の自殺をしています。敗戦が明らかになった8月15日でしたが、まだ停戦命令が出ていないからと、自分の判断で行けると決めて11機でしたか部下たちの彗星(爆撃機)を率いて特攻に出て行きました。でも自分だけが割腹やピストルで自殺するといかいうのならまだわかるけど、なぜ部下を連れて行ったのかという、それはものすごく最後の責任の取り方まで人命軽視だったということですね。部下の人命をなんと考えていたのかと思います。そういう点では大きな反省点として出てくるべきでしょう。でもそういうことが映画には出てきていない」

 死にたくない、生きて帰る、家族を守る──そのシンプルさが故に、ここには確かに見落とされているものがある。それは “どうしてこの戦争が起きてしまったのか”“いったいなぜ特攻という悲劇が生まれたのか”ということ。過ちを二度と繰り返さないために、わたしたちが学ぶ必要のある、もっとも重要な問いかけが、『永遠の0』にはない。 しかも、『永遠の0』が犯罪的なのは、特攻という国家犯罪を“家族のために”といういかにも現代的な価値観でコーティングして、その本質を見えなくさせていることだ
 岩井氏も「怖いですね。この映画だけを観て、やはり一種の感動を持つ人が多いんじゃないかと思いますから」と語っているが、読者や観客はこのような人物がなぜ特攻を選んだのかというミステリーにのめり込んで、宮部久蔵の生き様に共感し、落涙してしまう。(中略)
 特攻艇「震洋」の特攻要員だった岩井氏は、『永遠の0』の小説を読み、映画を観た人へのメッセージを聞かれ、こう答えている。

 「著作物はテーマを限定して書かれるのは当然のことで、必ずしも戦争を全面的に書くことは難しい。それは承知のことです。しかし戦争に対してどういう向き合い方をするのかということは、やはり書く上でその前提になることでしょう。それなしにこんなテーマを取り上げるということは、とても無責任なことではないでしょうか。(略)
 若い人だけでなく政治家についてもそれを強く言いたい。戦争について何も知らない人が議員になり大臣になる。こういう事態ってどう考えればいいんでしょうかね」
http://lite-ra.com/2015/07/post-1340.html

 
 結局、百田が伝えたかったことは「反戦」ではなく、「反戦略」であるとリテラは伝えています。つまり、あくまで「戦争賛美」なのだと。<「戦争に負けたこと」や「戦争の戦い方」を批判しているのであって、「戦争」そのものを批判しているわけではまったくないということですhttp://lite-ra.com/2016/05/post-2206.html>。

 沖縄の2つの新聞をクズ呼ばわりした百田、自分が考えたセリフを、憲法学者の小林節氏の発言にしてほしいと捏造を示唆した櫻井。左派を散々クズ呼ばわりした彼らの極右的な思考ほどクズなものはありません。

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