朝日バッシングの愚本を幼稚な手本として、自らの論理力を鍛える①

 この記事はブログとは別で書いたものですが、せっかくなので載せようと思いました。もり・かけ問題を知らない人にとってはチンプンカンプンで、眠たくなるかもしれませんが、ちゃんと読んでいただければ論理力は鍛えられると思います。
 そして読み終わった方はすぐにこう思うことでしょう。小川氏のこの本は、政治のジャンルじゃなくて精神世界のジャンルに入るな、と。

はじめに

 森友学園を巡る一連の問題で、大阪地検は38人全員を不起訴にした。どんな捜査をしたのかわからない以上、今回の判断にとやかく言うことはできない。彼らは彼らなりに全力を尽くしたのかもしれないし、尽くしていないのかもしれない。たぶん、永遠にわかることはないだろう。

 改ざんに関して山本真知子・特捜部長は、「虚偽内容の文書が作られたかという観点から検討したが、認めることは困難」と言った。要するに、犯罪にあたるのか、あたらないのか? ということだと思うが、(驚くほど多くの)改ざんしても不起訴となる前例ができ、これから先、何かヤバいことがあったらどんどん改ざんしても大丈夫、と永田町、霞が関の魑魅魍魎どもは思ったことでしょう。
 
 魑魅魍魎は永田町、霞が関以外にもたくさん存在する。安倍首相の擁護本『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』のタイトルにあるとおり、「森友・加計は朝日の捏造だ!」と訴えた文藝評論家である小川榮太郎氏もその一人だ。

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画像:https://www.amazon.co.jp/徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪-月刊Hanada双書-小川榮太郎/dp/486410574X

 彼は本著の冒頭で、<マスコミは、森友学園の籠池泰典夫妻と安倍晋三夫妻、加計学園の加計孝太郎と安倍晋三の個人的な関係による不正な優遇があったかのような印象操作で、安倍を六ヵ月以上にわたり個人攻撃し続けた(4頁)>と述べた。安倍首相が報道犯罪の被害者であり、彼と森友・加計学園の間には何もない、と言い続けた。すべては、「安倍疑惑」であるかのような攻撃が執拗に続いただけだったと――。彼の言いたいことはわかる。単なる疑惑ごときで執拗な安倍攻撃をするな、攻撃をするならちゃんとした証拠を示せ! ということだと判断するが、そもそも、疑惑があれば攻撃するのが世の常なのではないか? それを「違う」と言うなら、法廷の場に検察官などいらないことになる。世の中すべての事件に、ぐうの音も出ないような決定的な証拠があるわけじゃない。それは誰もが知るところだ。だからこそ、真実を知るために法廷というものがある。

 この度の問題は、国会という場が法廷となってくり広げられているものだ。野党が検察官の代わりになり、マスコミが提示した数々の疑惑を盾に真実を暴こうとする。べつに安倍首相が起訴(比喩表現として)されたわけではない。起訴された人物は他の者だ。「だったら、安倍首相に対する攻撃は無意味であり、人権侵害にあたるではないか!」小川氏を含め、そう思う者がたくさんいることだろう。実際、小川氏は本著の中で、安倍首相への人権侵害について述べている。しかし、真実を暴くとはそういうことではないのか? 疑惑を徹底的に突くのは、真実を知るためだからではないのか?「その疑惑が本物だったらな!」――そんな反論が返ってきそうだが、この反論には誤謬がある。本物かどうかがわかっていたら、その時点で疑惑ではなくなるということだ。それは疑惑でなく真実、ということになる。ただ、真実というのはなかなか明るみに出ない。普段の生活でも知人、友人、親、兄弟が真実を言わないことがあるだろう。そういう現実があることを、誰もが承知している。そこにはもちろん、自分自身も含まれるが――。

 人間は嘘をつく。ある心理学では、人間は毎日10回から200回は嘘をつかれているという(初めて会う人間同士は、最初の10分で3回嘘をつくという結果もでている)。わかるだろうか? 人間は人間を騙すのだ、もっともらしいことを言って。だからこそ、少しでも疑惑があれば徹底追及する必要がある。ただし、真実を知る必要性があるなら、という補足はつくだろう。もり・かけ問題は、まさにその必要性があった。なぜなら、その疑惑の主として首相の名が挙がったからだ。

 目の前に見えるのは悪事の表層部分だけで、悪事の中枢部分が見えてこない。だからこそ裁判がある。様々な疑惑が浮上し、しっくりこない。すべてを解決する、核心を突く証拠がない。しかし、疑惑を一つひとつ追っていけば、奥の院に辿り着けるかもしれない……ここで、「所詮は疑惑だけであって、なんの証拠もないことから問題提起しない、問題提起してはいけない」とするのか、それとも、「結果はどうであれ、すべての疑惑の真偽を白日の下にさらすべきだ」の二択になるだろう。朝日新聞は後者を選択したのだ。そもそも、マスコミの仕事とはそういうものではないか? 権力をチェックし、不正があれば、それを世の中に訴える。そのためには、ほんの少しの疑惑も見逃さない。朝日は問うたのだ。「煙が立っているけども、火元はどこなんだ?」と。人々は、力ある者が権力を使い、数多くの事実を隠蔽することを歴史から学んでいる。だからこそ、追及の手を休めてはいけないのだ。今回の件では、安倍首相に嫌疑がかかった。首相が関わっていないのなら朝日新聞が参ったし、世間から「ふざけるな!」とバッシングされる。真実にはリスクを伴う。人間の心を見透かせる魔法の杖がない以上、あちらを立てればこちらが立たず、でどうにもならないことなのだ。

 小川氏のこの本は、朝日新聞社に一切の取材もないままに、「戦後最大級の報道犯罪」とタイトルにまで入れて朝日を断罪している。そこまで言うなら、と読んでみると、これまた想像力が豊かなこと、いや、表現が優しすぎた、誇大妄想だ。朝日報道への‟的確”な反論本なのかと思いきや、ところどころに書いてあるのは「燻製ニシンの虚偽(重要な事柄から受け手の注意を逸らそうとする技法)」ではないか。朝日新聞の報じた内容が偽りである、と信じ込ませようとするマインド・コントロールだ。そのために、ああでもないこうでもない、と論じているのだが、その内容が朝日報道に対する‟反論ではなく、水掛け論”なのだ。一般的に言えば、「論点のすり替え」だ。本来、そのすり替えた論点自体は妥当(事実)であるのだが、小川氏がすり替えた論点の殆どが想像だった。以下に2つ例を挙げるが、その前に小川氏が、<あくまで物証に基づく権力の違法な悪用のにみ絞られねばならない(4頁)>と言っていることを先に挙げておく。

<森友問題の時には幾つもの偶然が重なり、加計問題の時は全てを周到な計画の下に(後略)(5頁)>

<何よりも衝撃的なのは、仕掛けた朝日新聞自身が、どちらも安倍の関与などないことを知りながらひたすら「安倍叩き」のみを目的として、疑惑を「創作」したことだ(同前)>

 
 上記した2つの引用には根拠たるものがまるでない。これは子供でも容易にわかる、明らかに恣意的な発言ではないか。こう発言するということは、「安倍叩きのみを目的として疑惑を創作した、と朝日新聞が言った」ということを、誰かからリークされなければならない。もし誰からも聞いていないのなら、それは「主観」「印象操作」「根拠なき発言」、彼が主張する「あくまで物証に基づく」に反するものである。

 ところどころに想像の産物を挿入して反論本を書いて印税をもらうなんて、それこそ犯罪だ。小川氏が想像をふんだんに使っているのは、1頁目からわかった。文藝評論家の前に、自分を評論したほうがよさそうだ。

 確かに朝日新聞が「反安倍」の姿勢であることは否めない。もり・かけ問題に限らず、これまで安倍晋三を報じてきた内容から見て取れる。もし、「いやいや、そんなことはない。あくまで報道機関として、客観的事実に基づきながら記事を書いているだけだ」と朝日側が言おうものなら、私は朝日を非難する。人間の薄汚さを包み隠そうとしているのが見え見えだからだ。心理学から証明できる自分を社会的批判から守るための行為であり、誰もこの心理から逃れることはできない。
 
 保守の安倍に対してリベラルの朝日、主義主張がまったく逆になるので、どこまで行っても意見が一致することはありえないと想像できる。2005年、当時自民党幹部だった安倍晋三と中川昭一から圧力を受けたために、NHKが番組内容を変えた、と朝日は報じた。それから今現在に至るまで、安倍VS朝日の構図(2012年から関係性は表面上は良くなったものの、もり・かけ問題で完全に元の鞘に収まった)はずっと続いている。

 専門家に限らず、一般大衆でも安倍首相と朝日新聞が対峙していることは容易に想像できる。2005年から現在に至るまでの短い歴史が、人々の頭の中にこの構図を刻んできた。その刻まれた一人が小川氏であろう。彼は、朝日はあざといやり方で安倍首相を奈落の底に落とそうとしている、という類の観念から、想像力を働かせ、徹底的に朝日をやり込めようとしたと判断できる。「いやいや、想像ではない。ちゃんと証拠がある」と彼が反論しようものなら、「それはあくまで状況証拠であって、物的な証拠は何一つない」と言おう。しかも、状況証拠といっても証拠と呼べるような代物では決してない。とは言いつつも、わからない。ひょっとしたら、小川氏の言ったことが妥当(正解)であり、朝日はもり・かけ問題を安倍批判に転嫁して、彼を首相の座から引きずりおろそうと考えていたのかもしれない。その方が自然で無難な考えだ。でも、決定的な証拠がなければ、それが不可能なことは朝日にだってわかっているはず。朝日はリスクを背負って戦いに挑んだ。そして、実際に決定的な証拠が出ることなく、一連の問題は幕を閉じてしまった。この戦いは安倍側に軍配が上がった。朝日は勝負に負けたのだ。この結果は小川氏にとって好都合だ。なぜなら、朝日叩き本の正当性が証明されたようなものだから。国民は、「あの本の言っていることは真実だったんだ」と思ったことだろう。ただし、これら一連の問題をきちんと俯瞰し、彼の本の内容を自分の頭できちんと考え、批評した‟以外“の人間だが――。この世に絶対的な客観性はなく、すべては主観だ。その主観は他人を巻き込む。他人をマインド・コントロールする。それがいつしかプロパガンダになる。これをしっかり言っておく

 小川氏が親安倍であるということは、安倍晋三が野に下った際に、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」に関わっていたことから見てとれる。2012年には『約束の日――安倍晋三試論』を発表した。朝日バッシングの今回の著書は、極右雑誌「月刊Hanada」の発行元である「飛鳥新社」から出版されたものだ。これらの事実を知った上で、小川氏はまず安倍批判をしないだろう、と想像できる。客観的に物事を見ようとする人間ですら主観に囚われるのに、これだけ安倍べっとりな人間が、物事を客観的に見られるはずがない。必ずや(どんなことがあっても)安倍擁護に走ると思える。所詮、人間は主観から逃がれることは不可能なのだ。もちろん、それは小川氏を批判している私もだし、朝日新聞もだ。この世は主観合戦であり、真実を知りたいなら「事実」が大事になる。その事実もなしに朝日バッシングをする小川氏は卑怯者だ。「それは朝日報道にも言えることではないか!」と反論があるかもしれないが、少なくとも朝日は「想像」を報じていない。報道機関として疑惑を追及しているだけだ。「こうこう、こういう疑惑があるが、実際のところどうなんですか、首相?」と。それが執拗であり、「確固たる証拠もないのだから、安倍首相に対する人権侵害だ」と小川氏は指摘する。先にも述べたが、疑いがあるのだから追及する、それは人間の性にも等しい普通のことだ。

 小川氏は朝日報道に対して、「こうこう、こういう事実と朝日は言っているが、それは違う。なぜなら、こうこう、こういう事実があるからだ!」と主張しているのではなく、「こうこう、こういう事実と朝日は言っているが、それは違う。なぜなら、こうこう、こういう‟想像“があるからだ!」と事実ではなく想像で論じているにすぎない。でも、世間はその想像を前後の文脈から事実と認めてしまう。それこそ、小川氏が朝日に言い放った印象操作だ。

 結果云々として、朝日は「反安倍」に世間を誘導するようにプロパガンダを仕掛けたのかもしれない。でも、それを言うなら、小川氏は「親安倍」に世間を誘導するようにプロパガンダを仕掛けたのだ。しかし、想像で語っているうちは、論じること自体が無意味だ。ただし、人間が人間を裁けるのは決定的な証拠があってこそだが、世の中はそんなうまく立ち回らないことはわかっている。決定的証拠がなく判決がでる場合がある。そして、稀にある冤罪が何よりの証拠だ。物事の判断に絶対はないが、その中で絶対に正解を判断しなければならないというパラドックスがこの世にはある。

 これから後に論じることは、小川氏の主張の矛盾である。一つひとつの文をこぼすことなく言質をとっていくのは時間と頁を割くので、あくまで抜粋することにする。以下、小川氏がいかに恣意的な発言をくり返し述べているかがわかるだろう。

 つぎに続く

この記事へのコメント

assassins
2018年07月20日 10:10
精神世界のジャンル。
スピ系(笑)
LUNA
2018年07月26日 11:30
朝日は「反安倍」に世間を誘導するようにプロパガンダを仕掛けたのかもしれない

これって、こっちのセリフですよ?
犬HKやら他局なんか、大本営状態にしてますし。言葉を巧みに変えて、真実から遠ざける。嘘HKとマスゴミ連中。