憎しみの連鎖

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zoom RSS 搾取する者と搾取される者 〜金持ちの論理〜A

<<   作成日時 : 2016/06/05 08:53   >>

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画像:http://blog.atlasshruggedmovie.com/2012/08/earn-your-way-to-atlas-shrugged-movie.html

前回を振り返って

 ハンク・リアーデンと判事らのディベートをご覧になられたでしょうか?「YES」だという皆さん、何を思い、どう感じたでしょうか?まさに、マルクスの階級社会論が示すような、資本家階級(ブルジョワジー)と労働者階級(プロレタリアート)の対立構造ですね。ただし、少し注意が必要です。マルクスは、「資本主義社会では、資本家階級が同時に政治権力も有し、人々を支配している」という立場を取っていましたが、『肩をすくめるアトラス』というフィクションの世界で生きるリアーデンは、資本家階級ではありますが、政治権力とは無縁の存在として描かれています。彼は公という政治(国家)権力に攻撃され、自由を奪われる身にあります。と言うことは、完全に2分化された関係です。そこで、私は2つの問いを立てました。

@ 『肩をすくめるアトラス』は本当にフィクションなのか?
A 資本家階級は政治権力とは無縁なのか?

 @Aを総括して次に示します。

2分化された関係はまやかしか?

 現実世界においても、上記したような対立構造は山ほどあると思います。ただ、もし特定の誰か(集団)が、2分化を「まやかし」として利用していたら、あなたはどう思いますか?こう仮定しましょう(「現実世界にもリアーデンが存在する」という体で話を進めます)。
 
 
 リアーデンは、自分が自由に活動すればするほど、快く思わない人間が出てくるのを知っている。政府が新たな規制を作るたびに、リアーデンの自由はどんどん蝕まれていく。それじゃ、「どうすれば彼らは私の活動に目をつぶってくれるのだろう?」リアーデンは考える……そして出た答えが「トロイの木馬(ギリシア神話に登場する木馬であって、トロイア戦争において使用されたもの。内部に人が隠れることができるようになっており、実際かくれては敵内部に忍び込み、敵を駆逐した。これから転じて、内部から相手を陥れることを指すようになった)」。

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画像:http://erikaishikoro.blog.fc2.com/blog-entry-2015.html

 自分の息のかかった人間たちを高官として送り込み、手腕を発揮させては世の中をリードする。または、黒子に徹っしては大物を裏から操作する。表向きの権力と裏向きの権力を使い分けては世論を誘導する。
 こんな思惑を皆に知られてしまって、暴動を起こされてしまってはひとたまりもない。事は気付かれないようにゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと。さらに、自分が犠牲者のようにように振舞わなければならない。多少ダメージを受けておいたほうが、世間は信用するというものだ。
 「井の中の蛙大海を知らず」とは一般大衆のことであり。大海を泳いでいるのは自分たちエリートなのだ。資金をフル活用し、私(たち)以外は皆、ゲームの駒となって動いてもらうではないか。

 
 どうでしょうかこの仮定?私のこと、「頭おかしい」と思った方もいらっしゃると思います。でも、はっきり言ってこれはまだ序の口です。今後、ブログを続けていくにあたって、もっと“おかしな”ことを連発していくことになるでしょう。ただ、私は決しておめでたい思いつきでは書きません。物事を注意深く観察し、大ストーリーに展開させたい人間の欲望を阻止するために否定を繰り返し、矛盾を考慮し、少なからず科学的根拠を元に書いていくつもりです。
 『肩をすくめるアトラス』の中で、リアーデンは競争を美化しています。ただし、それはれっきとした競争土台がある場合のみの理論です。重税や不当な競争があれば、資本が乏しい人間は決して躍り出てくることは出来ないのです。政治家がいい例えです。政治家が選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバンが必要であるとされています。個人の資質、能力で選ばれることももちろんありますが、それは稀です。元首相の田中角栄さんは、高等小学校卒が最終学歴です。世間一般では、「その学歴で首相?すごくがんばったんだね!」と考えるかもしれませんが、これこそ「3つのバン」の力が発揮されたと言ってもいいでしょう。彼の閨閥を見ていけば、彼が首相になれたのも納得できます。詳しくは、私が尊敬する広瀬隆さんの著書『私物国家』で確認できます。
 「井の中の蛙」のまま、偏狭な感覚で物事を語ることからの脱却しましょう。いかに自分の感情を抑制して、世の中を見るかが試練であり、鍵です。
 リアーデンと同じように競争を美化した人物として有名なのは、経済学者だったミルトン・フリードマンです。フリードマン思想の根底にあるのは、「競争市場は常に公平だ」ということです。彼は、政府が市場に介入することを批判します。フリードマンはシカゴ大学の教授だったので、そこから「シカゴ学派」と呼ばれるようになり、経済学の主流となりました。そして、この思想を受け継いだエリートたちが、IMFや世界銀行へと就職するのです。
 彼らは常に「自己責任論」を前面に出します。一瞬このワード「自己責任」を聞くと、当たり前だと思い、嘆いている人を「甘えるな」と叱責することでしょう。それは、「日銀性善説(性善説とは、人間の本性は基本的に善であるとするというもの)」のように、競争をしている人間、競争そのものが「まっとうだから善である」と思い込んでいる人たちがいるからです。皆さんは、市場というものが本当に自由であるとお思いでしょうか?お金儲けをしたい各人の思惑がある。売る人、買う人がいてそれぞれが納得のいく価格での売買。互いがメリットを得る。しかし、その自由市場を独占する人たちがいたらどうでしょう。大概の人はそれはありえないと言います。断言しましょう。経済は一部の権力者によって牛耳られています。金融工学を発展させ、証券化商品を誕生させ、それを儲け話と見た投資家たちによるマネーゲーム。そのゲームに翻弄され、底辺を必至に生き抜く人びとがいることを忘れてはいけません。そんな彼らに「自己責任だから仕方ない」と言うのであれば、私はビンタを喰らわしてやります。

アイン・ランドは、リバタリアンに大きな影響を与え続けている

 政治哲学者であるマイケル・サンデルは著書『これからの「正義」の話をしよう』の中で、リバタリアンを次のように説明しています。

 
「リバタリアン(自由市場主義者)」:経済効率ではなく人間の自由の名において、制約のない市場を支持し、政府規制に反対する。(中略)どの人間も自由への基本的権利――他人が同じことをする権利を尊重するかぎり、みずからが所有するものを使って、みずからが望むいかなることをも行なうことが許される権利」 P99


 先述したミルトン・フリードマンも、もちろんリバタリアンです。彼は「麻薬を吸うのは個人の自由であり、取り締まりは必要はない」と訴えました。何かあったら自己責任だと。また、社会保障に関して、「どのような老後を送るかは人々の自由であり、国が個人の社会保障に口を出すべきではない。社会保障の名の下、税金を集めることは、自分のお金を自由に使うことへの侵害である」とも。
 皆さんはどうお考えでしょうか?

マイケル・サンデルの提示

 サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』の第3章「私は私のものか?――リバタリアニズム(自由至上主義)」が、少なからずリバタリアンに対抗する意味での答えを導いてくれます(決して絶対的な結果を導いたわけではありませんので注意)。
 出だしでは、アメリカの富豪番付を幾人か発表し、こう述べています

 
「アメリカの上位1パーセントが国中の富の3分の1以上を保有し、その額は下位90パーセントの世帯の資産を合計した額より多い。アメリカの上位10パーセントの世帯が全所得の42パーセントを手にし、全資産の71パーセントを保有している」 P98

 サンデルは、アメリカの経済的不平等は、他の民主主義国よりもかなり大きいことを示し、「貧困者を助けるために富裕層へ課税すべき」との賛成の声、反対の声に答えを見い出そうとしています。特に熟慮することなく考えると、「課税すべきだよ」ってなるでしょうが、その方々はきっと資本家側ではなく労働者側です。資本家でしたら反対することでしょうから。ここに争点が当てられます。
 サンデルは初め、
「功利主義(行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性)によって決定されるとする考え方、Wikipedia)」
の観点から考えました(複数ありますが、重要と思われるところを抜粋しました。個人名が出ていますが、富裕層でひとくくりにしている場合もあります)。

「正義とは幸福の最大化を意味する」→富の再配分は支持される(全体の幸福度が増加する)
リバタリアンの反論
●高率の課税、特に所得税が働くことや投資への意欲を減退させ、生産力の低下につながる。
●富裕層の働く意欲を減退させ、所得を減らし、再配分の原資も減る。
●貧困者を助けるために富裕層に課税するのは、正義にもとること(基本的権利が侵害される)。
これは大儀ではなく、強要であり盗みである(自分のお金を自分の好きなように使う自由を侵害している)。
●いかなるものであろうとも、他人を助けることをある人々に要求する法律を拒否する。
●国家には、富裕な納税者に貧者のための社会計画を支えるよう強制する権限はない。
自分の所有物を自由に利用するという、富める者の権利を侵害する。

 サンデルは、ロバート・ノージックという人物を取り上げ、ノージックの提案を考えます。

マイケル・ジョーダンの稼いだお金は分配されるべきか?

 ノージックの提案はこうです。仮定として、マイケル・ジョーダンのプレイが見たい人は、チケットを1枚買うたびに5ドルを箱に入れる(そのお金はすべてジョーダンのものになる)。たくさんの人がジョーダンのプレイを見たいので、必然的にどのプレイヤーよりもはるかに多いドルを手にするはず。ここで格差が生じているが、完全にお客さんの自発的な選択を通じて生じたお金なので、不満があるはずがない。ジョーダンにまったく興味がない人にも不満はない。なぜなら1セントも払っていないから。無論ジョーダン本人にも。そしてこう言うのです。

 
「経済的不平等を不正義なものと考える人は、繰り返して自由市場に介入し、人々が行なった選択の結果を元に戻さなければならない。第二に、こうした介入――恵まれない人への支援プログラムのためにジョーダンに課税すること――は、自主的な取引をひっくり返してしまうだけでなく、ジョーダンの稼ぎを取り上げることによって彼の権利を侵害してもいる。事実上、ジョーダンの意思に反して慈善寄付を強要しているからだ」 P107


 上記した内容に関して、同書ではリバタリアンへの反論があります。まず、ジョーダンは一人でプレイしているわけではないということ。バスケットボールはチーム競技であり、ジョーダンが誰もいないコートで一人フリースローをするのを見るために、人々は3100万ドルも払ったりはしないだろうと。チームメイト、コーチ、トレーナー、レフェリー、放送関係者、コート整備員などがいなければ、あれほどの大金は絶対に手に入らなかったはずです。ただし、そうした人々は、各人のサービスの市場価値に見合った金をすでに手にしている。だから問題はない……難しいですね。答えはないです。あなたはどちらを選択しますか?

 引き続き次回になります。そして、私が一番伝えたい“おかしな”部分を示していきますよ。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
商売には競争相手がいないと独断馬になり、高くても他にないから買うだろう、になりますね。近くに競争相手がいたら値下げとか安売りとか増やしたり工夫します。あ、例えばスーパーだとしたらの話になりますが。
消費者としては安全でなるべく安い物が欲しいですよね、競争相手がいればスーパーじゃなくても自動車とか物作りの方でも技術や品質が上がると思います。それを消費者が享受できますね。
ジョーダンは、もう他の人もそれなりのお金は手にしているし納得した金額ならばジョーダンのお金はそのままで良いと思います。単純な答えになってしまいましたが。
LUNA
2016/06/30 11:25

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