憎しみの連鎖

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zoom RSS 『憎しみの連鎖』再開させていただきます。

  作成日時 : 2016/05/24 02:13   >>

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『憎しみの連鎖』の再開にあたって

 初めて私のブログを読んで下さる皆様、どうぞよろしくお願い致します。また、過去に当ブログを読んでは叱咤激励をくださった皆様、お久しぶりです。そして、何の表明をすることなく長期間に渡ってブログを休止してしまい、大変申し訳ございませんでした。2013年2月20日の記事が最後となり、それ以来、一切書くことを止めていました。
 「休止」と表現しましたが、それは「今また書いてみよう」と思ったので、過去を「休止」と表現したのであり、実際は「終止」のつもりでした。仕事が多忙を極めたこと、プライベートでの精神的ストレス、世間が何でも盲信してしまうことへの憤慨など、すべては私の精神の弱さがもたらした結果です。一言で表すなら、「すべてに疲れてしまった」ということです。読んで下さっていた皆様には、「だからと言って、何も表明せずブログを止めたのは無責任だ」と言われることでしょう。本当に申し訳ない気持ちです。ただ、この「無責任」に対しては一言いわせて下さい。実際自分が「無責任だ」と言われたわけではないですが、このような発言は世間でよく見聞きするので、私に対して、「読者様の中にもそう思っている人がいるだろう」という予想で書きました。最初に言わせて下さい。私が本当に申し訳ないと思ったのは、当ブログを楽しみにして下さっていた皆様、心配して下さってコメントを下さった皆様に対して何のアクションも取らなかったことで、多少なりとも心を傷つけてしまったのではないかという思いからです。私は人間です。私を崇拝して下さるようなコメントを書いてくれた方が過去にいましたが、「崇高な人間になりたい」と思いながらも、人間の弱く、または醜い部分が備わっている人間臭漂うのが私です。
 ブログを再開した理由の一つとして、休止していた間に書き上げた本が発行され、一段落ついたとこで、多忙からくる精神的ストレスから少し解放されたというのもあります。そして、その本を読んでほしいという宣伝の意味もあります。「やらしい奴だな」と思われてもしょうがないですよね。十分理解しています。しかし、嘘をついて公明正大を演じたところで、分かる人間にはわかりますから。この人間臭は私だけではなく、万人に備わっていると思います。だからこそ、この世に崇拝できる者などいないと思うのです。過去のブログで私はこう書きました。「尊敬すれど崇拝するな」と。私は自分の心に正直でいたいです。でも正直さを世間が認めてくれないのは知っています。「建前」、別の言い方なら「上っ面」が現実です。すべてを正直に語ったのなら人間関係、社会生活が成り立たないこと必至です。だからこそ私は「自分の心に正直でいたい」という“願望”を書きました。実際出来ていないからです。そういうジレンマがまた、自分にとってストレスになります。せめて文章にする時だけでも清廉潔白でありたい、あろうと思っています。
 私は自らの仕事において、いつも「気合」とか「根性」と言っていますが、それは精神的に弱い部分をひた隠そうとしているからです。以前、私は心療内科に通っていましたが、担当医に言われたのは、「本当に気合や根性が備わっている人は、そういうことを口に出したりしない。それを声に出すのは、そういう理想の自分になりたいからだ」と言われました。「それはその担当医の主観でしょ?」ってなるかもしれませんが、彼らは幾人もの患者を診てきたからこそ言えるのであって、決して当てずっぽうではなく、少なからず科学的見解だということは理解しています。実際当たっていますしね(ただし、私は猜疑心が大事だと思っているので、医師だからと言って盲信することは危険だと思っています)。
 ニーチェの「力への意志」を利用するがごとく、「無責任」を肯定しようなどとは思っていません。それだけはないです。私は、数々のプレッシャーに押しつぶされないように自己防衛(逃避)してしまったのです。本当にすいませんでした。
 「無責任」を取り上げたのは、考えるきっかけとしてもらいたかったからです。決して、上記した自分の弱さや醜さを「無責任」というものになすりつけるつもりはないのはご理解ください。

短絡的思考

 過去にタレントの酒井法子さんが覚醒剤の所持・使用で逮捕されました。覚えていますか?その際に私が見た複数の方々がこう言っていたのです……裏切られた!……。私は???でした。「裏切られた?なんだそりゃ」と。酒井法子さんはあなたと接点があって、あなたに「絶対に覚醒剤を所持・使用しないよ」と約束したのかと。また、同じく元タレントの山本太郎さんが天皇に手紙を渡してバッシングを受けた件。彼が「バカ」呼ばわりされていました。別にバッシングをバッシングするというのではありません。少なからず私の周囲は、手紙を渡したという“行為”だけしか着目せず、彼が一体、どういう思いで、なぜ手紙を渡す必要があったのか?手紙の内容とは一体何なのか?にはまったく注意を向けないというものでした。なのにバッシングだけはいっちょまえ。
 私が何を言いたいかと言えば、「裏切り」「バカ」、そして上記した「無責任」という言葉が世間ではあまりにも短絡的に使われているということです。「アンビバレンツ(同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと)」という言葉があります。これは感情の問題なので自身で操作することは出来ませんが、常にこれが必要だと思うのです。デルポイのアポロン神殿の入り口に刻まれた古代ギリシアの格言「汝自身を知れ」とは、己を知ることが至難の業であることを示唆しています。余計なお世話でしょうが、当ブログはそれを目指します。と言いますか、自分がそうでありたいということを書いているにすぎませんけど。そして読者様各人が、いろいろと自分で分析して詭弁というものを取っ払って下さればと思います。自分自身の中にソクラテス式問答法を用いるような感じで。

多数決が正しいとはかぎらない

 1762年3月、南仏トゥルーズにおいてジャン・カラスという人物が死刑に処されました。彼には罪はありませんでした。人々の誤謬、偏見の波に晒されて、狂信者集団によって悪者に仕立てられた結果でした。この話はヴォルテールの『寛容論』に記されています。主な登場人物は以下。

●ジャン・カラス夫妻 
●長男マルク=アントワーヌ
●次男ピエール
●長男マルク=アントワーヌの友人ラヴェス
●カトリック信者の女中

 ジャンと妻、子供たちは新教徒(プロテスタント)でした。長男マルク=アントワーヌは弁護士資格に必要なカトリック教徒であるという証明書が入手できないことから命を断つ決心をしました(プロテスタントなので)。そして首をくくる。両親は驚き、泣き崩れました。ピエールとラヴェスは無我夢中で外科医と警察を呼びに走りました。「何が起こったのか」と騒ぎを聞きつけた群集がカラス家に集まってきました。彼らは迷信深く、「カラス家は同じ信仰(カトリック)を奉じない」として怪物視していました。この群集の中で、誰かが「ジャン・カラスは自分の実の息子マルク=アントワーヌの首を絞めた」と叫びました。これが伝染し、人々が口々に同様のことを叫びだしました。また、「マルク=アントワーヌが、翌日カトリックに改宗しようとしていたので、これを阻止するために家族とラヴェスが共謀して彼を絞殺したのだ」とも。

画像
画像:http://lewebpedagogique.com/bac-premiere/1stg-voltaire-traite-sur-la-tolerance-priere-a-dieu/

 こうした噂にそそのかされ、トゥルーズの市参事ダヴィットは、慣例や規定に反した訴訟手続きをし、ジャンに手錠をかけました。証拠不十分にもかかわらず……。間違った信仰が証拠の代わりとなりました。その後、父親は車責めの刑を執行され死亡したのです。

 上記した内容のように、人々の興奮(誤謬)は病原菌が伝染するように人々に波及していきます。

「ミリング」と「アジテーター」

羊や牛の群れが大きな円を描いて回りながら、周囲の個体を取り込んでいく過程を「ミリング」といいますが、群集はこのミリングのように、単なる傍観者であった人々を巻き込んで相互に興奮を高めながら、渦巻き状の影響の環を広げていくことがあります。そして、共感による情緒の伝達が感染するかのごとく急激に拡大し、その反応は増幅されます。そうなると社会的抑制力が低下して自我感は弱まり、責任感が喪失して攻撃性が増してきます。そのような群集は反社会的行動を起こしやすくなり、ついに暴動の引き金が引かれます。この引き金を引く人をアジテーターといいます(後略) 『手に取るように心理学がわかる本』渋谷昌三、小野寺敦子、P204-206


 周囲の意見と乖離するにも関わらず、自身の主張を突き通すのはとても勇気のいる行為です。もし、自分の意見を主張すれば「集団の結束を損なわせてしまう」「集団からのけ者にされてしまう」という恐怖が伴うと思ってしまうからです。多数決が正しいとは言えないことは、上記した「ジャン・カラスの殺害」から改めてご理解いただけると思います。だからこそ少数派の力「マイノリティ・インフルエンス」が必要なのです。ただし、少し説明が必要です。

「マイノリティ・インフルエンス」

 「マイノリティ・インフルエンス」、直訳すると「少数派の影響」。少数派が繰り返し一貫した主張や態度を示し続けると、多数者は信頼感が揺らぎ、判断に変化を生じるというものです。
 民主主義を標榜する国々は、意志決定をする際、必ず多数派優先になります。だからこそ、多数派に籍を置く者たちは、「影響力という名の権力」を維持、行使してきました。少数派の主張が淘汰されるのは世の常です。しかし、です。気付いている方々はおられると思いますが、実際は、「少数派の人間たちが意図して決定したことが、多数派を利用して実行されてきたにすぎない」ということです。今はそれが顕著になっています。ネット社会の昨今、この少数派を通じて大多数をコントロールしているのです。サイバースペースでは根拠なき意見が飛び交っていますが、人々は興奮させてくれるものに飛びつきます。平凡は人生におもしろみがないからです。精神分析の世界でもそれは証明されています。陳腐な政治ニュースよりも、芸能界の斬新で興奮させるニュースに飛びつくのです。 これで、知られたくない政治ニュースから皆さんを遠ざけることが出来ます。逆に政治家が政策を支持してほしい場合は、政治ニュースに「斬新で興奮させる」ものを取り入れ、世間に提示するのです。いわゆるプロパガンダですね。これを成し得るために、意図した少数派意見を多数派に変換させる作業に取り掛かるのです。だからこそ、正当性のある、現今の権威をゆるがす意見はメディアから排除し、世間の目に触れないところに追いやらなければなりません。「でも、そういう人たち少数派の意見も斬新であり興奮させるものではないの?」とのご意見をいただくと思います。その通りです。彼らの意見もSNSなどを通じて見聞きできますから、爆発的に拡大することだってあります。ただ、強大なスポンサー(クライアント)、広告代理店が意図して取り上げないので世間の目に触れることが難しいのです。その影では、そういう革新的であり真実を追いかけようとする者たちを排除しようとあらゆる手を尽くします。

騙されないために

信念というのは惑わされ易いもので、自信を持って「見た」と主張する証人であっても、他の誰かの主張に影響されて、自分の経験を再解釈してしまうことがある。 『ビッグクエスチョンズ−哲学』サイモン・ブラックバーン、P81


何かが真実であってほしいと望むことは、それが本当に真実であるかどうかに関する懐疑心を圧倒してしまう。 同前P112

私たちは情報に反応するのと同じくらい自分たちの勘や夢、恐れや妄想に反応する。(中略)ある間違った情報が自分が聞きたかったことと一致するならそれを積極的に取り入れてしまうだろうし、そうでない場合は情報を拒否してしまう。 同前P136

 上に引用した内容をよく噛み締めて下さい。人ってホントに、いとも簡単に誘導(騙される)されるのです。
 ここで一つ、次のような話をしましょう。
 
 舞台は片田舎。周りは山と田んぼに囲まれた土地。街頭がほとんどありません。道路も狭い。そんな中をその車はヘッドライトも点けずに猛スピードで滑走しています。なぜこのようなことが出来たのか?

 答えがわかりますか?「スタントマンだったから」とか、「たまたま運が良かった」とかはなしですよ。正解は、「昼間だったから」です。「街頭」や「ヘッドライト」というワードが出たので脳みそが夜だと思ってしまったのです。
 もう一つここで紹介。 広告手法の一つに「プロダクト・プレイスメント」というものがあります。一言でいうなら、「意図したさりげないアピール」とでも言いましょうか。映画やテレビドラマの中などの劇中に、そっとアピールしたい企業名や商品名などを挿入させるのです。ウィキペディアにあるので引用しますね。

誕生は1955年公開のハリウッド映画『理由なき反抗』と云われる。劇中でジェームズ・ディーンがポケットから櫛を取り出し整髪するシーンが何度も出てくるが、これを観た当時のアメリカの若者たちから「ディーンが使っていた同じ櫛はどこで買えるのか?」と映画会社(ワーナーブラザーズ)に問合せが殺到。これが新しい宣伝ビジネスモデルになると気づいた映画会社は、以降、一般企業との「劇中広告でのタイアップ」を始める。これが「プロダクト・プレイスメント」と呼ばれ、一般化した。


 普段は意識しないことですが、改めて言われるとなるほどなって思いますよね。それが肝心要ですよ。世の中はすべて広告です。テレビの中に個人の意見はないと思ったほうが無難かもしれませんね。

最後に

 いつの日も伝えたいことはたくさんあります。自身の非力さ、自身の弱さに毎日のように憤慨しても、この思だけは治まることなくいます。フォト・ジャーナリズムである『DAYS JAPAN』という月刊誌はいつもそれを自分に問いかけてくれます。彼らジャーナリストたちの思い、そしてそこから影響を受けた自分の思いを世間に主張でき、賛成、理解できずとも考慮し、批評していただけるだけでも主張したかいがあるというものです。どこの世界でも無視されるのは辛いものです。私が本を書いた理由は「伝えたい」それだけです。タイトルは『来るべき時への始まり』と言います。

画像
画像:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784286113890

 文芸社から出ています。読んでいただけたら幸いです。
 今後、記事を書くにあたって、以前のような定期的な更新は難しいと思いますが、逃げ腰にならずにがんばりたいと思いますので、どうぞこれからよろしくお願いいたします。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです*\(^o^)/*
気ままに気楽にやれば良いと思います。著者、読破しました。力作でしたね、読みごたえたっぷりでした。
私は哲学とかは読んでませんが、ジャンルこだわらずに色々と読むべきだな、と痛感しました。
assassins
2016/06/05 15:50
驚愕しました、復帰したんですね‼︎ 本当にお久しぶりです。色々あったとの話、深く追求もしませんし今とこれからが大切だと思いますよ。
ブログはのんびりで良いと思います、負担や義務みたいに考えなくて良いのです。ご自分が表現したい事とかで。崇拝、私は盲目な時がありましたが…もちろん今は大枠として色々読んだりしてますが私の崇拝は変わらないかも(笑)たまたま検索してたら出てきたんです、偶然にしても何かのご縁があるんではないかと思います。周りの話も読みながらなので大丈夫です。
まだ他に記事がありますが、かなり難しいのでよく考えながら読んでからコメントさせてもらおうかと。ひとまず今はただ嬉しくて仕方ないです。assaさん、お久しぶりです。ウサちゃんはいかがですか?ウチのウサちゃんは優しくて穏やかで元気ですよ〜。
LUNA
2016/06/28 07:32
著書、取り寄せて読みますね(*^^*)知らなかった知らなかった(T_T)
LUNA
2016/06/28 07:33
LUNAさん、お久しぶりです( ̄^ ̄)ゞよく見つけてくれなぁたと、ビックリしてますよ(笑)崇拝LUNAさんも復活ですね( ̄^ ̄)ゞ
ウサたん元気ですかぁ、私のウサたん2羽は年と病気で1羽、また1羽と月へ帰りました。とても良い子たちでした。ペットロスがひどく立ち直るのに数年かかりました(大汗)2羽目がいなくなり10ヶ月後に、近くの公園で捨てウサを保護、保護後2週目に5羽出産…離乳後に子供たちを里親様にもらって頂いて、今ウチにはママウサだけがいます。白で赤目。出産後も成長していたので推定2才近くになり、時々病気になるので専門病院へ、かなり高い医療費(T_T)秋冬は夜、布団に入って寝てくれますよ。かなりワガママな子で自分が一番らしいです(笑)
assassins
2016/06/28 12:58
スマホにしたのですがまだ家にwifiないので、喫茶店でwifi使ってます。
保護ってすごいですね、どうやって捕まえたのかなぁf^_^;) 幸せなウサちゃん、幸運でしたね。

街頭とヘッドライトという文字見て、夜かなぁと思い込みしました…だますのって簡単ですね、そしてだまされるのも簡単だと。書いた人はそんなつもりないですよ、あなたが勝手に解釈しただけだ、と言いきれますよね。
LUNA
2016/06/30 10:55
LUNAさん、wifiないと通信量がヤバイですね。自宅にネット入れるしかないですが、公衆のを使うテもありますね。セキュリティの問題もあるみたいですが、私はおかしな事になった事ないです。
ウチのウサたんはやたら暑がりなので今はエアコンしまくり。寒さにはかなり強い子です。回数と長さは減りましたが、いまだに布団に入ってきますよ(笑)
捕まえ時40分かかりました…息子らと走り回ってました。やっと捕まえた時、キィーッ‼︎と鳴き声3回あげて、バスタオルにくるむとガタガタ震えてました。4日目に放し飼いにしたらウロウロ探索開始(笑)
今じゃすっかり女王様になってます(笑)
assassins
2016/07/05 11:21

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